お七の十(おしちのじゅう)
【粗筋】
八百屋お七、火事で家が焼けて寺に預けられたが、そこにいた小姓の吉三に一目惚れ。しかし、家が再建されて戻らねばならなくなったときに、
「吉三さん、あたしゃ本郷へ行くわいな」
と言い残した。家に戻って淋しい日々を送るうち、もう一度火事になれば吉三さんと会えると、自宅に放火し、捕らえられて火あぶりの刑に処せられた。これを知った小姓の吉三、吾妻橋から身を投げて地獄へ行き、お七を見つけ出した。二人が抱き合ったとたんにジュウという音。お七が火で死に、吉三が水で死んだので、火に水が掛かってジュウ。また、女の名前が七で男が三だから合わせて十という……
このお七の幽霊が出るようになり、侍が退治に出かける。現れた幽霊の片手、片足を斬り落としたところ、お七は一本足で逃げ出した。
「これ、その方、一本足でいずこへ参る」
「あい、片足ゃ本郷へ行くわいな」【成立】
足して十という部分は省略されることが多いのだが、「お七の十」という題名が一般に用いられる。これは前回紹介した「火の用心」の「お七」と区別するためのもの。前半を省略した時には「お七」「八百屋お七」「お七の幽霊」という題名も見える。子供の頃に上方の落語家が演じたのを確かに見たのだが、誰だか思い出せない。
お七の実家は本郷の「八百屋」という屋号の小間物屋(櫛やかんざしを売る店)の娘。野菜を売っている訳ではない。お七(寛文6(1666)年〜天和3(1683)年)
お七の墓は文京区白山・円乗寺、吉三郎の墓は目黒・大円寺、駒込・吉祥寺に「お七吉三比翼塚」、鈴が森に「お七火刑の石台」が残る。『天和笑委集(てんなしょういしゅう)』によれば、本郷八百屋市兵衛の末娘・お七が16歳の折に家が類焼し、正仙院(一説に白山円乗寺)に避難する。寺に住職寵愛の小姓・生田庄之介がいて二人が恋に落ちる。翌年1月10日、下女の手引きで契りを交わすが、25日に家が再建されると別れを強いられる。思い詰めたお七が3月2日、自宅へ放火、捕らえられて同29日、千住小塚原で処刑された。庄之介は翌年高野山で剃髪、出家したという。
2年後(貞享2年)井原西鶴の浮世草子『好色五人女』第4巻「恋草からげし八百屋物語」で、避難した場所を駒込吉祥寺、恋の相手を吉三郎、処刑の場を鈴が森として書き記した。まだ生きている関係者への配慮だったらしい。指の刺を抜いて肌が触れるという出会いなど、お七の可憐さが描かれ、一途な恋から、処刑に際しては潔く浄土を願うという……哀れな生涯を作り上げた。吉三郎は自害しようとするが、お七の母に止められ、修行を積んで出家する。
元禄以降多くの書物が出回り、宝暦3(1706)年正月には大阪嵐三右衛門座『お七歌さいもん』で歌舞伎化された。ここでは吉三郎の恋敵が裏で暗躍する。江戸歌舞伎の『中将姫京雛』では養父殺しの罪を問われるということで、史実であった放火と離れている。
正徳4(1714)年、紀海音の浄瑠璃『八百屋お七恋緋桜(こいのひざくら)』が通称「八百屋お七」で、その改作『伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)』(菅専助ほか・安永2(1773)大阪豊竹座)からは刑場にひかれる馬上の姿が人気となった。
「恋緋桜」は源平の時代に舞台を移し、吉三郎は安森源次兵衛の遺児、お七の父・久兵衛は吉三郎の恋敵・万屋武兵衛から借金200両のかたにお七を強要される。吉三郎への思いから狂乱、放火して捕らえられる。吉三郎は身代わりを願い出るがかなわず、切腹して果てる。
「恋緋鹿子」は吉三郎の旧主の宝を恋敵・武兵衛が隠し持っており、その秘密を知ったお七が知らせるために櫓に上がって半鐘を鳴らす。これが芝居に欠かせない名場面となるが、放火からの連想であることは言うまでもない。
安政3(1856)年市村座の河竹黙阿弥『松竹梅雪曙』が今日の演出の基礎。
火あぶりの刑は、前の年に江戸で大火が4度もあり、放火に対して厳しいおふれが出た。その見せしめの刑だったとも考えられている。
史実としては未詳の部分が多く、ならず者の吉三が火事場泥棒を目的にお七に放火を勧めたという説があったり、本当の恋人は佐兵衛とか庄之助といわれ、武蔵坊という僧になって江戸六地蔵を建立したという話もある。
また別の説では、吉三郎が西運と名乗って目黒の大円寺の和尚となり、お七の菩提をとむらったのがお七地蔵だという。
その他、お七と寺の住職が関係したとか、お七が愛したのが旗本の伜で小堀左門という人物だとか、色々な説がある。父親の名前、家のあった場所、生まれた年まで、複数の説があるのだ。世に広まった説では、お七は丙午の生まれで火あぶりになったのが数え年の16歳。これがやがて丙午に生まれた女が夫を食い殺すという俗説を生むようになったという。【蘊蓄】
お七の事件はすぐに井原西鶴が『好色五人女』に脚色。菅専助作の浄瑠璃、『伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)』が大ヒットした。特にお七が火の見櫓に登り、火事の太鼓を打って木戸を開けさせ、吉三に会いに行くというシーンは、岩井半四郎(4代目)が演じて大評判を取った。
文京区駒込の吉祥寺には、お七・吉三の比翼塚があるが、昭和41(1966)年に作られたもの。